じんかん/今村翔悟
下克上の戦国時代、裏切りが当たり前ように行われていた時代において、裏切りの代名詞として今も3梟雄と語られる「天下の悪人 松永久秀」の生涯について描いた時代小説。松永久秀という武将は「主家の乗っ取り」「足利将軍の殺害」「東大寺大仏殿の焼き払い」の三大悪行が有名である。
小説の冒頭、松永久秀が裏切りを報告をする小姓に対して「織田信長」がそれを許そうとしているところから始まり、松永久秀本人から聞いた久秀の生涯について小姓に信長が語るという形式で物語は進んでいく。
幼少期に両親を年貢が支払えない見せしめに殺され、多聞丸と名乗る少年を先頭に野盗を行う生活をし始める九兵衛(のちの松永久秀)。ある時返り討ちにあい多聞丸はなくなってしまうがその時に多聞丸から刀を託される。少年たちの野盗団のうち生き残ったのは九兵衛、弟の甚助、唯一の女の子日夏の3人のみ。
生き残った3人は本山寺の宗慶和尚に救われ、そこで三好元長という武士の話を聞く。
元長は自身が武士であるにも関わらず、武士による支配を終わらせ民主主義による世界を作ろうとしていると。
日夏を本山寺に残し、元長に会いたい一心で堺へと向かった九兵衛と甚助を世話してくれたのは武野新五郎という商人で、新五郎から九兵衛は茶の湯について教わる。この茶の湯などの教養が後に台頭の役に立つこととなる。
堺にて元長と出会った九兵衛は、命をかけて世の中を変えようとしている元長について行く決心をし松永九兵久秀・松永甚助長頼と名乗り500の足軽を集める。
いよいよ挙兵した三好元長は京都を支配する細川高国と戦いこれを破り上洛を果たす。
久秀は立ち寄った本山寺で日夏が和尚のために薬屋嫁いだことを知り安堵する。
一度は敗れた細川高国だったが三好軍の3倍以上の兵を率い再び攻めてくるが、またも三好元長に敗れ久秀に捕らえられてしまう。
高国は捕縛された際に久秀に「民は支配されることをのぞんでいる。日々の暮らしが楽になるのを望んではいるが、そのために自らが動くのを極めて厭う」と語り、民主主義を目指すこと自体が実際に正しいことなのかどうかはだれにもわからない事なのだと久秀は考えるようになる。
細川高国を破り順風満帆に見えた三好元長だったが、今まで元長が守っていた堺の民を含む一向一揆が勃発し、元長は自分の子供たちに仕えるよう久秀に頼み、家族や町人を守るため一揆勢に自分を見つけさせ、皆が逃げたことを確認し自らの夢を久秀に託し自らは切腹して果てた。
元長の死後、正式に三好家の家臣となった松永久秀・長頼は着実に地盤を固め出世して行くが、内輪争いに辟易としはじめる。時の権力者となった三好家であったが、立て続けに主君長慶の兄弟・長男を失いさらに長慶までもなくなってしまう。その後は三好家筆頭といわれる三好三人衆たちと反目を繰り返しつつ織田信長の庇護を頼る。その後幾度も織田家に反旗を翻しつづける松永久秀であったが、それは主家である三好家をまもろうとする深い経緯ゆえのことなのだということだった。
幼少の頃から大切な人を失い続けた久秀は絶えず生きることや死ぬことの意味を追い求め続け、「この世に神や仏はいない。いるならば何故、幼子が飢え死にをしたり純朴なものが斬り殺されたりするのを見過ごすのか」と信長に問うたり、姉川の合戦において敗残の織田軍に対して「各々方に大切な人はおられるか?主君でなくとも良い、妻や子、母、父、兄弟、姉妹、友と呼べるもの、恋するもの・・・、その中で病や戦で死んだ者もいるだろう。それは神の罰か?皆様の大切な方はそれほどの悪事をなさったのか」と語り士気をあげ自らの人脈を駆使して信長の生涯最大の危機を乗り越える手助けをしたりしている。
タイトルの「じんかん」とは人間。にんげんと読めば一人の人を指すが、じんかんとは人と人が織りなす間、この世の中という意味となる。
小さな頃から戦国時代が好きな私としては、天下の極悪人としての語られることの多い武将に魅力を感じる。実際には歴史の勝利者たちの悪意によって人物像が歪められている事おおいに考えられるので、実際はどうだったのかという想像は非常に楽しい。その中でも特に「松永久秀」という武将をとても魅力的に感じていた。
史実で語られる松永久秀は、彼の秀でた能力のからは考えられない無謀な行動をとることが散見される。その理由が本小説で描かれている内容を理由としたものであると考えれば個人的にはとても得心がいく。歴史好きの一人としては、史実の松永久秀という武将がこの「じんかん」で描かれている九兵衛のような人であったと願わずにはいられない。