鼻/芥川龍之介

「内供」という鼻が馬鹿でかい高位の僧侶がいた。

粥を食べようとすると鼻が粥に浸ってしまうほどであり、弟子に木の板で鼻を持ち上げてもらいながら食する必要があるほど大きく、その鼻がコンプレックスであり人に笑われる自分の鼻について読経の最中にまで思い悩むほどであった。

ある日弟子の一人から「鼻を茹で踏みつけてもらうと小さくなるらしいから試してみませんか?」と提案され実践した結果、見事に鼻が通常のサイズになった。内供は「これでもう笑われなくなる」と喜んだ。

しかし内供の予想に反し、鼻が縮んだ内供を見て以前にも増して皆がコソコソと何かを話していたりクスクスと笑っているところを目撃した。鼻は小さくなったのに何故なんだろうか?と内供は思い悩むことになった。

弟子が聞いてきた鼻が小さくなる方法の効果は一時的なものであったようで、ある日内供の鼻は元の馬鹿でかいサイズに戻ってしまう。しかし内供は、「あぁよかった、これでもう笑われなくて済む」と喜んだ。

周囲の人間は自分以外の他人を笑うことで優位に立ちたがり、それを克服したもの、克服しようとするものを嘲笑することでそれを諦めさせたり同じ不幸に陥れてみたくなったりと敵意を抱くようになる。

であれば大切なことは周囲の目を気にすることではなく、自分の心の持ち用次第であるということ。コップに半分入った飲み物をみて「もう半分しかない」と思うのではなく、「まだ半分も残っている」というようにマインドチェンジをしていく必要がある。アドラーの心理学のようなお話であり結論として「周囲の評価を気にしていては悩みからは解放されない」ということ。

「原因がわからない悩みより、原因がわかってる悩みの方が結局気楽ですよね」という程度のお話かもしれないが。

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