バカと無知 人間、この不都合な生きもの/橘玲

正義のウラに潜む快感、善意の名を借りた他人へのマウンティング、差別、偏見、記憶……人間というのは、ものすごくやっかいな存在だが、希望がないわけではない。一人でも多くの人が「人間の本性=バカと無知の壁」に気づき、自らの言動に多少の注意を払うようになれば、もう少し生きやすい世の中になるのではないだろうか(カバーそでより)

人間など、つきつめれば人類がウガウガ言っていた頃から脳のつくりは変わっていない。記憶など全く当てにならないものであるし、差別や偏見は脳のつくり上当然存在する。ボランティアは自尊心を回復させる最も簡単な手段として有効であり、民主主義は優秀な人がバカに引きづられるのでうまくいかない。

といったように、SNSなどで著名人が呟いたらあっと言う間に炎上してしまいそうなことをずけずけと書いているのが本書です。

その炎上騒動自体そもそも人間の脳の報酬系にとって、「簡単に」「都合よく」「快楽を得る」ことができる娯楽であることから流行ってしまい社会現象になっているとバッサリ切り捨てている。

いつもどおり読んだ内容をメモしたものを書いているのですが、要約をしているだけで私の所見ではありませんのであしからず。といったガードは念のためしておきますww

本書自体は著者のいうような考え方や側面もあるというぐらいで読み取れば良いとは思いますが、科学的根拠や実際に行った実験の内容を踏まえ話される内容はなるほどと思わされることばかりであった。

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【正義は最大の娯楽である】

人の脳は自分より優秀な人をみる=損失であり、劣った人を見る=報酬と捉えるようにできている。だから有名な芸能人やYouTuberなどがなにかするとSNSなどでこぞって袋叩きにし、引き摺り下ろそうとする。

そしてそれがSNSのように匿名で手軽に行える娯楽になっていることが、キャンセルカルチャーという社会現象となってしまっている。

【バカと無知】

バカは自分がわかっていないことをわかっていない事であり、無知は自分がわかっていないことをわかっている状態である。

能力の低いものは自分を過大評価し、能力の高いものは自分を過小評価する(過大評価の方が割合は圧倒的に高いが)。なぜなら集団生活という社会性の中で他人に能力が劣っていることを知られることは不利益に繋がるし、能力が高いことを知られるのもキャンセルカルチャーの原理によって足を引っ張られるという不利益を被ることになるからである。

民主的な社会がうまくいかない理由は「バカに引きづられるから」であり、そうならないためには意思決定の場からバカを排除すること。結果優秀なものによる独裁が有利ということになってしまうのかもしれない。(ツイッター、テスラ、アマゾン、シンガポール、中国など)

仲間外れにされたり批判されたりした時に受ける苦痛と、殴る蹴るなどの暴力を受けた時に感じる苦痛を脳は区別できない。どちらも自尊心を傷つけられたとして危険の赤ランプを点灯させる。その赤ランプの点灯を放置しておくことはできず(火事で熱いのを放置すると死亡してしまう)、それは逃走・攻撃・すくみといった形で表現することになる。まず逃走を試みる。それができなければ反撃に転じ、それも無理なら死んだふりをすることになる。

【やっかいな自尊心】

自尊心というのは、他者との関係性で決まる。相手に対して圧倒的に優位であれば自尊心は傷つけられることはない。幼子であれば反抗されても大丈夫だが、思春期の子に反抗されると激昂するのは自身の地位が脅かされ失われつつあるから。

集団からは大きな影響を受ける。

自分が認めている人からのアドバイスは問題ないが、同程度の人から受けるアドバイスを人は自尊心への攻撃と捉えることが多い。圧倒的強者はマウントなどとらずとも強者でありアドバイスでしかないが、そうでないものから受けたものは純粋なアドバイスなのかマウンティングなのかの判断がつけられないから。

困っている人の役に立つためという名目であるボランティアは、自尊心を回復させる簡便な手段である。(困っている人=困っていない自分よりも下の人間ということ)

「男と女の脳には生物学的な違いがある」というのは科学的に立証されているが、世間一般では封殺されるべきことである。(このことについて社内レポートを書いたGoogle社員はすぐに解雇されているという事実が存在する)

【「差別と偏見」の迷宮】

差別も偏見も実際は誰もが持っているものである。例えば性別の違いの一例として、小さな男の子は動くものに興味をもちやすく、小さな女の子はヒトに興味をもちやすい。このように性別による脳の違いからくる得手不得手などを無視することができないからである。

また、偏見を持つなという教育がさらに偏見を強くする。これはシロクマ思考という実験からわかることであり、何もない平常時であれば「シロクマ」のことなどめったに思い出しもしないのに、「シロクマのことを考えないで」と言われると頭の中にシロクマが浮かんでくることをとめることはできなくなる。

人間は我々(内集団)とあいつら(外集団)を形成し内集団を優遇する。内集団を優遇しなければ外集団から襲われても団結できずやられてしまうからという本能的なものを感じるからだ。しかしこの内集団と外集団の隔たりはどんな簡単なものでも形成されてしまう。コイントスでも好きなものでも人種でも。

【全ての記憶は「偽物」である】

記憶は簡単に捏造可能なものである。流動的でありいつでも書き換えが可能であり、記憶は他者の体験とも簡単に融合する。

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